2ndSTREET USAの運営最前線レポート
2ndSTREET USAの運営最前線レポート
Project Story 03
2ndSTREET USA 運営最前線レポート
加速する海外出店。その最先端の現場を、
一人の社員の目線で追う奮闘記。
Background

プロジェクトの背景

セカンドストリートの海外展開が始まったのは、2018年1月。アメリカ・ロサンゼルスのメルローズにオープンした「2nd STREET Melrose」を皮切りに、現在ではアメリカ国内に約50店舗を展開し、2030年までに100店舗の出店を目指しています。アメリカのみならず、台湾、マレーシア、タイ、シンガポール、香港の6カ国へも店舗網を拡大し、世界規模ではすでに100店舗以上を達成しています。世界NO.1のリユースチェーンを目指す企業として、今後はさらに海外出店を加速させていきます。原動力となっているのは、日本から世界へ出て、各国で活躍する社員たちです。海外の店舗で働くってどんなことなのか。どんな面白さや苦労が待っているのか。現在はアメリカで5店舗を管理するエリアマネジャーの大田に、自らの体験談を聞きました。

Member

プロジェクトメンバー

大田 優希
大田 優希
2ndstreet USA
AM

2017年新卒入社。兵庫県出身。入社後は、セカンドストリートでアシスタント社員として4店舗、店長として3店舗で経験を積む。その後、アメリカ研修の社内公募を通じて、2022年に2ndstreet USA/ニューヨーク・マンハッタン・チェルシー店の店長として赴任。以降、テキサス勤務を経て、現在はフィラデルフィアを拠点に、ペンシルバニア州、ノースカロライナ州、ジョージア州の3つの州に点在する5店舗のエリアマネジャーとして現地の店舗運営・スタッフ管理にあたる。

Member

キャリアパス

  • 2017年/新卒入社/アシスタント社員としてセカンドストリート4店舗で経験を積む
  • 2019年/店長に昇格/3店舗で店長を務める
  • 2021年/USA研修に参加
  • 2022年/ニューヨーク・マンハッタン・チェルシー店の店長として赴任
  • 2023年/Task Force配属/テキサス州などの店舗の再生に挑む
  • 2025年/EAST Store Sales配属/エリアマネジャーに就任/フィラデルフィアを中心に5店舗を統括
01

持ち前の負けん気で、
海を越えてニューヨークへ。

「海外でバリバリ活躍している人って聞くと、なんだか特別な人のような気がして遠く感じてしまいます。まずは、大田さんがどんな人で、日本でどんなキャリアを経てアメリカで働くようになったのか、経緯が知りたいです。

大田

私も、もともと海外で働くとは夢にも思っていませんでした。就職活動中はブライダル業界を志すも全滅して、「そういえば 私、ファッションが好きだった」と思い直してアパレル業界を志望してゲオに入社しました。入社の決め手は同期の仲間たちの顔ぶれです。なんだかユニークなキャラクターの人ばかりで、競争しがいがありそうって思ったことがきっかけでした。

私はもともと、負けん気が強い性格でした。競い合うような環境だと頑張れるし、刺激が多い環境が好きなのかも知れません。同期の仲間たちを見た時にも、自分よりも仕事ができそうと感じるメンバーが多くて、ここならやりがいがあるかもと思ったことを覚えています。

入社後はセカンドストリートに配属になったんですね。

大田

店舗での経験はすごく楽しかったです。最初は香川県の店舗に配属になって、周囲の先輩方にはずいぶん可愛がってもらいました。経験を積んで新店舗のアシスタントマネジャーを任された時期には仕事の面白さも随分と分かってきて、当時の店長の働きぶりを間近で見ているうちに「私も店長になりたい」と思いました。頑張ったかいもあって店長への昇格を果たして、店舗運営の面白さも苦労も充分に味わったと思います。ただある時に、ふとこの先の自分に迷ってしまう時期があって。

当時の店舗の環境もあったと思うのですが、店長の仕事にも慣れてきて少しだけ目標を見失っていたんです。そんな時に、アシスタントマネジャーだった当時の上司が今は台湾で活躍しているという話を聞いて、これだ!と思いました。それまでは海外なんて想像もしていなかったのですが、そういえば海外の店舗で働くって手もあるなと思ったんです。未知の体験が待っていそうで、挑戦のしがいがありそうだって。それに、海外であればこの先、店舗数がどんどん増えていきます。店長のその先のポジションに就けるチャンスが広がるかも知れないという思いもありました。

もともとの負けん気にまた火がついたんでしょうか。

大田

そうだったのかも知れません。タイミング良く、社内でアメリカ研修の公募があり、応募して研修に参加しました。研修が終わった後に正式にアメリカ勤務の公募があり、合格することができました。最初の勤務先はニューヨークでした。2022年のことです。

持ち前の負けん気で、海を越えてニューヨークへ。
持ち前の負けん気で、海を越えてニューヨークへ。
02

アメリカ勤務決定。
いきなりニューヨーク・マンハッタンの住人になる。

いきなりニューヨーク、マンハッタンでの勤務。言葉の響きだけで気後れしそうですが、当初はどんな気持ちでしたか?

大田

当時は27歳でした。その年齢で、駐在でマンハッタンに住むってなかなかできることじゃないです。すごい経験をさせてもらっていると思いました。当時は全く英語が話せませんでしたが、「行けばなんとかなるだろう」と思って、飛び込んだんです。

チェルシー店の店長として赴任しますが、店舗はもともとあった既存店だったのですか?

大田

既存店でした。前任のアメリカ人の店長の退職が決まっていて、その後任だったんです。なにしろマンハッタンの店舗ですから、月の売り上げが、日本で成績がいいとされる店舗のおよそ3倍。来客数は月に2万人ほど。ただ、店舗の規模で見ると80坪くらいで小規模なんです。およそ、テニスコート一面分くらいの広さです。日本の店舗より規模が小さいのに、月に2万人が来店して、売上は3倍ある。それはもう、毎日慌ただしかったです。

マンハッタンの店舗ってどんなお客様が来店するのですか?

大田

マンハッタンでは、セカンドストリートって20代のファッション感度が高めの人向けの店舗という認知があります。ある程度のブランド価値を持っている。「セカンドストリートに行ってきた」という言動がちょっとしたステータスになるくらいの空気がありましたから、日本とは少し違うかも知れません。

ただ、赴任した2022年にセカンドストリートという業態がアメリカ全土で受け入れられていたかというと、認知度は低かったです。当時はアメリカに10店舗しか無く、ニューヨークには3店舗だけ。一部の感度の高い人に認知はされていたものの、大多数の人にとって「セカンドストリートって何?」という状態でした。

アメリカって古着の文化は豊かな国だと思うのですが、お店に自分の服を売りにいくという行動は、現地でも自然に受け入れられていたのですか?

大田

むしろ日本よりも文化に根付いている印象がありました。もともと、寄付の文化が強いんです。ドネーション(寄付・寄贈)がビジネスとして成り立っている国で、社会貢献やサステナブルの意識が強く、古着を寄付することが当たり前なんです。むしろ自分の古着を持っていってお金が返ってくるなら、その方が相互利益であり買取を持ってくるお客様も多い印象を受けました。

現地のスタッフを指揮して店舗運営にあたったわけですが、どんな苦労がありましたか?

大田

日本のセカンドストリートだと、お客様が持ってきてくれた商品は全て買い取ることが基本です。ところがチェルシー店で驚いたのは、スタッフがお客様に「これは売れないから、持って帰ってくれ」と返していることです。お客様もそれで気分を悪くすることもなく「分かった」と受け入れているんです。私が赴任するまでは、それが当たり前だったんでしょう。まずは、持ち込まれた商品は全て買い取るという意識改革が必要でした。

それでも、買取の意識が低かったせいか、そもそも買取の基本的なオペレーションが理解されていませんでした。こうなったらもう、やって見せるしかないです。「買取ってこうやってやるんだよ」と、一つひとつのオペレーションをやって見せて、それがなぜ必要かを説明して、実際にやってもらって。その行動をしつこく繰り返すことで、少しずつ改善していきました。

基本的な質問かもしれないですが、なぜ全ての商品を買取する必要があるのですか?

大田

チェルシー店は私が赴任する以前から優秀な売上の店舗でしたが、利益率が低いことが課題でした。その原因は買取にあります。ニューヨークという土地柄なのか、やはりリユース品の中でもブランド品など中古価値が高い商品の人気が高いんです。そうすると当然、買取も高価なブランド品が中心になってしまいます。つまり、高額でブランド品を仕入れて、高い価格で販売しても、少しの利益しか生まれません。

重要なのは、ブランド品の品揃えはそのままに、中間の価格帯や低価格帯の商品ラインナップも充実させることでした。ひらたくいえば、安く買取れる商品をたくさん仕入れて、安い価格でたくさん売るということです。その方が利益率は確実に向上します。そのため、以前にはあまり買取していなかったファストファッション系のブランドの商品も全て買取るように意識を徹底しました。スタッフにも利益率の話を細かく理解してもらいたかったのですが、残念ながら当時の英語力では上手く説明できる自信がなくて「とにかく買って!」とだけ伝えていました。「買えば利益が上がるから!」と、なにしろこっちも必死ですから(笑)。

店舗の品揃えが改善されると、利益も変わりましたか?

大田

赴任して3ヶ月で売上は予算対比172%、営業利益も予算対比952%という数値を出すことができました。もちろん買取客数も月平均で150人以上の増加を達成することができました。

チェルシー店で店長を務めたのは、どのくらいの期間でしたか?

大田

チェルシー店では店長を半年間勤めました。その後はタスクフォースというチームに配属になり、アメリカ国内で、あまり良い成績を出せていない店舗の立て直しに行く業務を担当しました。

アメリカ勤務決定。いきなりニューヨーク・マンハッタンの住人になる。
アメリカ勤務決定。いきなりニューヨーク・マンハッタンの住人になる。
03

カウボーイハットとウェスタンブーツの街で、
悪戦苦闘。

ニューヨークで店長として半年間を過ごし、店舗オペレーションを改善して売上の向上を達成した後、タスクフォースというチームでアメリカ各地の店舗を立て直すミッションを担当したんですね。タスクフォースというのは、具体的にどんな業務を行うのでしょうか。

大田

業務は店長とほぼ同じですが、立て直しに特化したチームです。目的は、売上を出せていない店舗を立て直すことです。今までに2度、タスクフォースチームを組んで店舗を立て直した経験がありますが、その1回目の経験がテキサスの店舗で、現地に半年間赴任していました。

ニューヨークとテキサスでは、まるで文化が違いそうです。

大田

全く違います。日本からニューヨークに行った時よりも、テキサスに行った時の方がカルチャーショックは大きかったです。ニューヨークでは、待っていればお客様がどんどん来店してくれました。ところがテキサスの店舗はまるで違います。そもそも来客数は少ないし、セカンドストリートの認知度も低い。ファッションのトレンドも違えば、客層も違います。店舗を立て直しにきたものの、何から手をつければいいのか途方に暮れました。

でも、なんとかするしかない?

大田

そう思って気合いを入れて挑んだのですが、最初は大失敗をしました。店舗を調べていくと、倉庫には山のように在庫が積まれているのに、店頭の棚はスカスカなんです。まずはその点を改善しようと、在庫を店頭に並べ、他の地域で需要がありそうな商品は他店舗に回して、在庫を減らして店頭の売り場の改善にあたったのです。これが、失敗の原因でした。いくら売場を改善しても、いっこうにお客様の来店数が増えません。チームで相談しても他に良い方法を見つけられず、頭を抱える日が続きました。

そんな時に、上司との面談の機会がありました。店舗の現状を相談するでもなく、自分のキャリアについて会話を交わしていた時に、ふと上司から「大田さんの強みって何?」と問いかけられました。私の強みは買取だと自己分析していたので「強みは買取です」と答えた時にハッとしました。思えばチェルシー店でも、売上を改善できたのは買取に注力したからでした。売場の改善ではなく、お客様の来店を促すための買取の改善が先だったんだと、その時に気づきました。

そこから、買取への注力に方向転換をしたんですね。

大田

少ないながらも、テキサスの店舗に足を運んでくれるお客様がいます。まずはそうしたお客様に「セカンドストリートに古着を持ち込めば全て買い取ってくれる」と、認識してもらうことを目指しました。買取対応をしている間に、お客様は店内をグルっと見て回ってくれます。そこで、気になる商品があれば手に取ってくれるはずです。この活動を地道に継続していった結果、ようやく店舗の売上が上昇の兆しを見せ始めました。

テキサスならではというお客様の特徴などは感じましたか?

大田

ニューヨークとは全く違っていて、面白かったです。ニューヨークは20代のお客様がメインでしたが、テキサスは家族連れのお客様が殆どです。それも、日本人がテキサスと聞いて想像する通り、カウボーイハットとウェスタンブーツのお客様が多いです。ウェスタンブーツの買取は本当に多かったですし、店頭に並べてあるブーツもハットもよく売れました。価格帯も特徴的で、高い商品は売れ行きが悪く、日本円で1,500円〜2,300円くらいの価格帯の商品が人気です。こうした事実も、買取に訪れたお客様と丁寧にコミュニケーションを交わし、お店での行動をよく観察してみないと、分からなかったと思います。

最終的に、売上は改善しましたか?

大田

目標の数値は達成できませんでしたが、徐々に回復に向かいました。商売ってこういうことなんだと、その時に本当に実感できたと思います。とにかく、アメリカで働くって毎日が新しい発見だらけで、面白いです。しかし、良いこともあれば、悪いことも当然ありますので、かなり逞しくなったと思います。

カウボーイハットとウェスタンブーツの街で、悪戦苦闘。
カウボーイハットとウェスタンブーツの街で、悪戦苦闘。
04

3つの州をまたいで5店舗を統括する
エリアマネジャーとして。

現在は、EAST Store Salesという部署に異動していますね。ここでは、どんな仕事をしていますか?

大田

5店舗を統括するエリアマネジャーとして働いています。住居はフィラデルフィアなのですが、担当の5店舗はそれぞれ、ペンシルバニア州、ノースカロライナ州、ジョージア州にありますから、しょっちゅう飛行機に乗って出張を繰り返しています。それぞれの店舗が、日本でいえば東京と沖縄くらい距離がありますので、なかなかに大変です。

エリアマネジャーのミッションは、日本と変わりません。各店舗の売上を見ながら、スタッフの管理をしています。今、一番力を入れているのはスタッフの教育です。いい店舗づくりのためには人づくりが欠かせず、人と人のコミュニケーションが重要なのは、日本もアメリカも変わらないかも知れません。

5店舗の店長は全員、現地採用の人財です。言葉の問題はありますが、目の前の相手がどんな個性の人間なのかをよく見て、アプローチを変えながら、それぞれの良さを伸ばしたいと思っています。個性がバラバラで、面白いです。エリアマネジャーを目指したいという人もいますし、仕事を趣味のように楽しんで、働いている人もいます。

大田さんは今、仕事のどんな所に面白みを感じていますか?

大田

やはり今は、部下の成長です。店舗のいちスタッフだった社員が、アシスタントマネジャーや店長へと成長していく、その過程に関われていることが嬉しいです。私がいたから頑張れたと言ってくれる部下もいて、一番のモチベーションになっています。自分との関わりで人が変化していくことが、楽しいです。もともと学生時代から、周りのみんなに喜んでもらうことが好きでした。セカンドストリートで働き始めた時も、お客様やスタッフに喜んでもらうことが好きでした。今はアメリカで働いていますが、やっていることや場所が違っても、根本は変わっていないのかも知れません。

3つの州をまたいで5店舗を統括するエリアマネジャーとして。
3つの州をまたいで5店舗を統括するエリアマネジャーとして。
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